かつては、駅など人の集まる場所で、
募金を呼びかける光景を、
よくみかけました。
今は、コンビニなど、
常設の募金箱をみかけ、
寄付が定着してきたと感じます。
わたしは、寄付ができない人でした。
人前でお金を箱に入れ、
お礼を言われる恥ずかしさ。
施しをしているような、
どんよりとした気持ち。
お金で解決しようとしている、
ボランティアの方々と自分を、
偽善者だと感じていたのです。
使い道など、結局はわからない。
騙されているのかもしれない。
海外に毛布を届けるための募金。
輸送手段がなく、
必要な人に届かず、
大量の毛布が無駄になったという話を、
聞いたことがあります。
それなら、わたしには何ができるの?
時間と労力を差し出せるの?
自分で出した答えは、
信じることでした。
お金で人助けなんて……。そう思っていたころは、込められた思いや、可能性がわからなかったのだと思います。思いが集まって、人を支えて自分も支えられて暮らしてゆく。いつもだれかを思っている。お金は清く力強いもの。そう思えるようになったので、気持ちを添えて送り出すことができるようになりました。
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本日の一杯 ☕
信じる
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50円玉が手元にくると、
寄付のためにストックしています。
重なり合う響きが好きだから。
募金箱をみたら、すぐに取り出して、
無条件でそれを入れます。
あれこれ考えない。
役立つことを、ただ信じて。
最近は、ネットや振り込みで寄付ができ、
クレジットカードやポイントを使うことも
できますね。
いろいろな方法で、
人を助けたり応援したりすることができる。
だんだんと広がってゆきました。
寄付ができなかったのは、
人や自分やお金の清らかさを、
信じることができなかったからだと思うのです。