なごみカフェ 

~豊かなこころで、シンプルな暮らし~

むずかしい、こころで平等を感じること

 

ちびくろサンボ』は、差別表現だと、

日本でも論争が起こった話を知り、

悲しくなりました。

 

わたしは、可愛らしい登場人物を、

絵本を、とても好きでした。

 

そして、「差別」という考えが

まったく思い浮かびませんでした。

 

デリカシーがないのかもしれません。

 

でも、こころの中は「ふつう」です。

肌の色以外にも、

人と違うことはたくさんあるし、

わたしにとっては、

特別ではないのです。

 

いじめ対策として、

ニックネームで呼ぶことを

禁止する学校もあるようです。

 

ルールを決めてしまえば、

ラクかもしれません。

それが、平等なのかもしれません。

 

でも、受け止め方や、感じ方は

人それぞれ。

 

使う言葉を変えただけでは、

平等にはならないこともあるのでは。 

こころが離れたままなら。

 

 

子どもの頃、真っ黒に日焼けしたとき、

 

「黒ごぼうだね!」

 

と、友人がわたしに言いました。

 

それを、面白い表現だなあ、と

ただ笑っていたことを、

思い出しました。

 

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男女平等っていうのもむずかしい。もともと、差があるのは事実。個々に備わっているものを、最大限に活かすことができたらいいな。持って生まれた性別だけで判断しないように。だからといって、トイレのピクトグラムを、男性が青、女性が赤なんておかしい、とは言わないわ。目印にしているだけだから。混乱しないなら、もちろん他の色でもOK。 ある日、満員電車の座席に座っていたら、目の前に、ピッケルを持った登山に行くいで立ちの年配のご夫婦と、大きなお腹の妊婦さん。考えた末、妊婦さんに席を譲ったの。そうしたら、ご夫婦から非難轟轟。この判断が正しかったのか、悩むところです。

 

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  本日の一杯 

  こころで平等を考える

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子どもの頃、家族と親戚で出掛けた先で、

昼食をとるために店に入りました。

 

そこを、一人で抜け出しました。

 

大人たちの、

ゆっくりした昼食を待つことに

飽きてしまったのです。

 

大人たちが、わたしがいないことに気づき

店からでたところ、

賑やかな黒人の子どもの集団が、

目の前を駆けて行きました。

 

「あの中にいたよ!」

 

誰かが気づいて、呼び止めました。

 

もう、その後は大笑い。

 

「子どもは言葉もわからないのに、

 すぐ仲良くなっちゃうんだね」

 

「一人目立って見つけやすかったね」

 

などなど、話に花が咲いたそうです。

 

わたしは、このことを

全く覚えていません。

 

外国人がまだ珍しい、のどかな場所で、

なんの偏見もなく、

 

「楽しく遊べてよかったね」

 

と言ってくれたことに、

今でも、

あたたかい気持ちになります。